2014/12/21

怒らないひとになるべきか


常々おもっているのですが 加齢に任せているだけでは大人になれないぞと
幼稚なまま老いるだけで成熟しない


よし
じゃぁ じぶんの感情を疑いコントロールすることを「大人になる」ひとつの目標にしよう
怒ることをなくしていこう

「問題の認識/解決手法の模索/問題の解決」が目的であるならば
怒るというやり方はあまりいい方法ではないから
(怒ること自体が目的なら話は違うけど…)



怒らない人は無能な人か


そんなふうに思っていて本を読んでいたら

相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って人との友好関係を壊せないような人は、結局何にも踏み込めない無能な人です。
斉須政雄 「調理場という戦場」

と書かれていて衝撃だった
無能!

でも言われてみればそうじゃないですか


何が言いたいって「怒らない=何もしない」じゃなかったんだということ



上手な怒り方があるとおもう


怒るってことはハッキリした反省と謝罪の機会を与えることにもなって 区切りをつけることができる
そういう意味では良いところもあるとおもう

上手く怒れるかってのは反省と謝罪ができるように怒れるかどうかにかかっている


でもわたしは人前でネガティブな感情を吐いて醜態をさらす度胸もなければ
感情にゆだねて上手く怒れる自信もない


伝えたいことは怒ること以外で伝えたいと夢みてしまう
だいたい人を変えようということ自体が思いあがっているんだよな
それは なんというか ちょっと コトの規模がちがう話だけども


どうしても怒ってしまったときは
引きずらない!
怒ってしまったことは謝る


大人になりたい一方で「怒っても無駄だ」と決めつけるように老いたくはないのだった