2015/03/02

身勝手と気遣いなんて


買ってきた既製品のような小奇麗にまとまった言葉を使われると
それがほんとうに自分の言いたいことなのかもっぺん考えてみろよと胸倉掴む勢いでイライラしてしまう

分からないからと岩のように押し黙るより出来合いじみた言葉でも伝える努力をしているだけ誠実だろうか
相手に配慮している点で少なくとも大人だろうな

いや黙っているのも単なる身勝手ではなくて
いいかげんな言葉を投げつけないというわたしなりの気遣いのつもりなのだけど…


ひとまず言葉にするやり方と納得できるまで言葉にしないやり方とそれぞれあって別にいいと思っている

分かろうとする情熱も好きだけど
分からないことを分からないまま保留できる謙虚さがわたしは好きだ


言葉にこだわりすぎだろうか
的確な言葉を発見することが目的ではなかったのにそこに拘泥している

言葉で「なに」を伝えたいかが重要なのに
その自分の中の「なに」を捉えるためにも言葉を使うから混乱するんだろうか


言葉が「なに」かを伝えるためのツールなのか思考そのものなのか
という問いも頭をもたげてくる


言葉以外に感情を捕まえて伝えるツールを持っていればいいのだけど
遠隔地の相手では言葉を使うウェイトが大きくなるのは仕方ないことだと思う

もどかしい
大根で発掘作業しているかんじに近い
埋蔵物を掘り出すには大振りすぎるくせに脆くてそのうえ萎びる
つまり他の方法を考えたほうがいい

それでもわたしは言葉あそびが好きなのだけども