チューブ生姜適量ではなくて1cmがいい人の理系の料理
理系の料理本とか聞いたときは、気が合うんじゃないかと思った。
フローチャートのレシピや、チューブ生姜が何センチ、ジャガイモを何センチ角に切るだとか。
図としてはおもしろかった。
わたしもレシピをメモにするときは簡単なフローチャートにするので似ているところもあると思った。
でも見ているうちに、こりゃ違うなって。
正確になるべきは定規や秤に対してではない。
料理は「なんのためにそれをするのか」問い、その答えに対して正確であることの繰り返しだ。
そういう問いを立てないから、定規しか頼れなくなる。
例えば、"一口大に切る"という指示が曖昧だという気持ち。気持ちは分かる。
でも、それならなぜ「なんのために一口大という大きさに切るのか」を考えないのか。
鍋に入らないからかもしれない。
火を通すのに、味を沁みこませるのに、適した大きさにしたいからかもしれない。
綺麗な所作で口に運んでもらうためかもしれない。
皿に美しく盛るためかもしれない。
そのためには、食材のコンディションや食べるひとの好みや調理道具の制限。
料理本ではカバーできない変数がいくらでもある。
何を優先して最適なサイズの「一口大」を決めるかは、その場で頭をつかって考えることだ。
センチメートルで決めておくことではない。
料理はそうやって頭を使うのが楽しいのに、決めておいたルールどおりにしか動けないのは窮屈で退屈だろうな。
結論:
著者、"理系"ではなくただマニュアル脳なのでは。