2014/10/21

「街を変える小さな店」を読みました



納得したりチクチクとイラついたりしながら読みました


完全同意はできないが こういうやり方でサバイブしている人の話を読むのは単純におもしろい
(できたらいいよなぁ…)とちょっと憧れるようなところもある


ただ著者たちのようなやり方が社会に容認されているのに
自身たちと正反対である「安易な消費者」を攻撃するようなことを言うのは微妙だった
(あるいはわたしが図星だったから過剰に反応しているのか)

そっちはそっち
こっちはこっち

どっちが正しいとかでなくそっと距離をおけばいいだけのことなのに
揶揄せずにはいられないのか そういう部分だけは読んでいて納得いかなかった



素直におもしろいなとおもえたのは
とにかく安ければよい、という考え方に歯止めをかけるのは、経済ではなく文化の力ではないだろうか。
「街を変える小さな店」 堀部篤史 p124

という指摘
消費にも文化的な教養がいるというのは働いて4年をこえてやっと感じています
生産側の経験を積んできたから分かるといえるのか…
学生時代とは消費が変化しつつあるから共感できるのか…
なにはともあれ

適正な仕事に!適正なお金を!支払うことができること!
これ超大事

適正を見据えるのはたぶんすごく難しい
実際は適正なんて考えが通用しないようなモノもあるし 見栄や義理を含むこともあると思います
そういうのを繰りかえして 自分の頭で考えている しかない



六曜社」マスターの奥野修さんの話はおもしろかったです
僕にとってのコーヒーのあり方は、たとえば本を買ったりして一息つきたいときに気持ちを切り替えてくれるものであり、普段の生活を邪魔しないもの。
「街を変える小さな店」 堀部篤史 p200

最近 あちこちでコーヒーを飲むのたのしいなぁとおもっているのですが

スペシャルティコーヒーだとかシングルオリジンだとかで 頭をいっぱいにしてしまい結構疲れる
こういうことしたくてコーヒー飲んでるんだっけって 一瞬 我にかえっちゃう

なにも考えず「コーヒーください」と言ってもいいんだなと



もうひとつ
喫茶店や酒場が、街の背景ではなく目的地になりつつある。
それは、街の人がそれぞれ贔屓の喫茶店や居酒屋に「通う」という文化が失われつつあることの裏返しなのかもしれない。
「街を変える小さな店」 堀部篤史 p200

個人的にこの目的地化のことは「スタンプラリー」と呼んでいるのだけど
本でも指摘があったとおりクチコミサイトの普及とSNSでの承認欲求による変化が大きいとおもっていた

それが「『通う』という文化が失われつつあることの裏返し」だという見解はおもしろい

個人の書いているグルメ系ブログをいくつか購読しているけど それは通うタイプの人ばかりだと気づいた
それぞれが馴染みの店に通う話には飽きない良さがある
対してまとめ系のサイトでは通うレビューは見かけたことがない

なるほどなぁとおもった



あと言われるまで気がつかなかったとおもったのが
人工的に演出された「サード・プレイスもどき」には、店主の存在感は皆無だ。
「街を変える小さな店」 堀部篤史 p206

この「サード・プレイスもどき」というのはスターバックスのことなのですが
(スターバックスは自らサードプレイスと名乗っています
そういえばスターバックスにおいて誰が店主やっているのかなんてまったく興味をもったことがないんですよね

しつこく通えば顔なじみになるのかもしれないけど
「店主の存在感」はスターバックスの戦略におそらく含まれていない

核不在のサード・プレイスがここまで浸透したことは 冒頭の文化を欠いた消費と無関係ではないのでしょう

文化的教養のある消費を身に着けるのはしんどいもんね
より手軽なほうに流れること水の如し

ただスタイルだけのサードプレイスでも 自分でサードプレイス化できちゃうひともいる気がするんですよね
店員を嗅ぎわけて コミュニケーション取れちゃうような

蔓延る「サード・プレイスもどき」を嘆くんじゃなくて そういう強かな消費者でありたいです


「街を変える小さな店」の書抜まとめ