2016/01/19

狩りとは

twitterで"イチゴ狩り"という文字をみた。

思えば、狩りではないのではないか。
イチゴにしてみれば一方的に略奪されているだけで、狩る者、狩られる者、互いの命と知恵を賭した駆け引きたる狩りとは別物だ。
正確には"イチゴ収穫"だ。

狩りと聞くと「何かあるかもしれない」と心がざわつく気がする。
実際のイチゴ狩りのハウスには歩きやすく固められた通路が伸び、採りやすい高さに食べごろのイチゴが垂れさがってるだけで、そこには狩りという言葉から想起されるような想定外の「何か」はない。
それを"イチゴ収穫"といわず"イチゴ狩り"と名付けたひとのセンス。ヤバない?

ヤギしか登れないような絶壁を登り荒々しいトゲに包まれたたった一粒の赤く輝くイチゴに手をのばす、くらいまでやったら狩りかもしれない。


収穫という言葉には労働感が否めないが、実際の"イチゴ狩り"は娯楽だ。
鷹狩というと権力者の娯楽であったわけで、狩りは娯楽の一面も持つ。

ああ、だから"イチゴ狩り"なのだなと一人合点しwikipediaをみると、"薬草・松茸・桜花・紅葉などを尋ね探し、採集したり、観賞したりすること"と書かれておりこれのことじゃん!オイ!と了得するに至り今日の仕事にとりかかったのだった。