2015/01/11

名古屋シネマテークで「鳥の道を越えて」を観てきた



どうも rintaroです
名古屋シネマテークで「鳥の道を越えて」を観てきました



名古屋シネマテーク自体がなんだかすごい


なれなれしく言いましたが じつはシネマテークに行くのは初めて
今池駅から3ブロック 今池スタービルの2Fです


「ヤングレディ」「ラウンジ キューピット」「中国食品 渤海」など
このビルでいいのか不安になる面々がテナントに入っています



(よかった! 合っているっぽい!)
赤い矢印がこころづよい…


通路にフライヤーがびっしり
よく見ると大抵のフライヤーがちゃんと未来のイベントで放置されているわけじゃないんです…




「鳥の道を越えて」感想



あらすじ
岐阜県東濃地方で行われていた渡り鳥を捕獲する「カスミ網猟」をテーマにしたドキュメンタリー
「カスミ網猟」を知る人々のインタビューや現在に残る資料やら面影やらを辿る
禁猟後67年を経て鳥と人間の関係を改めて見つめ直す


ちょっとまえから肉を食べることとその動物とわたしの生活があまりに離れていることが気になっている
(「問題提起手法としてみるちはるさん(ちはるの森)と動物愛護を掲げるひとたち」も2年前に書いている)

生きているだけでわたしは他の生物の命を奪って生きていると日常的に意識するべきか否か
ときどき考える

ちはるさんはそれを後天的に知ろうとしているが
生まれたときから狩猟文化のなかで生活していた人たちはどんなふうに考えるのだろう
気になって映画を観ることにした



結論から言うと「動物の命を食べる」という意識は変化していくと感じた
その人自身のなかで

いちばん変化が大きかったのはカスミ猟に携わって(猟を営む鳥屋に)いたというお爺さんが禁止になったとき密漁を取り締まる側になったという話
いまも野鳥の会に所属して渡り鳥を見守っているらしい

さらっと「取り締まる」と書いたが元同業から散々な目にあわされたらしい
それに自身のしてきたことを含めてどんな心情だっただろう…


文化とかいう大層なもので理解しようとするから分からなくなっていたのかもしれない
もっと人を知ってから文化を考えればいいんじゃないか
なんで気づかなかったんだろう



順を追って書こう

じつは渡り鳥を食べる習慣のあったエリアは限られていて岐阜のなかでもとくに東濃地方に多かったらしい
なぜ渡り鳥を食べることになったのか

映画のなかでは
「春夏秋と土地の野菜に生かされ冬は野菜が絶えるので肉を食べて栄養を摂った」
というようなことを話したお爺さんがいた

そうだなとおもう
土地と生活と命の巡る 美しい結びつきを見るようだ

しかし猟の規模(記録がある)によれば食べる以上に狩り金銭に交換したり他県まで出張って出稼ぎしている猟師もいた
それも含めて生活のためだったといえばそうなんだろうか…


どうやら「自身の食べるぶんを狩る」というのはわたしの勝手なイメージだった
ちはるさんも自分ひとりの胃袋ではなく シェアハウスの友人や近所の方と分けあっている

そういうコミュニティのために狩るというのが肥大化していったのが現在のかたちだ

わたしの所属するコミュニティは変化していく
個人的に住むエリアがかわることによるかもしれないし
日本全体で見て人口減高齢化によることかもしれない

変化のなかで動物の命を食べることに関してわたしの意識も変えていけるか
気持ちを麻痺させないでおけるのか
そういうことかなという気がしました




ちなみにトイレの場所がすごかったです