2014/11/21
「ま いっか」こそ愛なのではないか
いまより幸せな生活にならない
と分かっていて結婚する人っていないとおもうんですがどうでしょう
じゃぁこれまでも人生の転換点において常に良くなるほうを選んできたのかと考えるとそうでもないんですけどね
わたしは高校なんかは失意と諦観でヤケクソなまま入学アンド卒業
(正確には高校は自らの落度で選べなかっただけ)
大学と就職は ただ流れ流れて 実力以上に運が良かった(末吉くらいだけど)とおもっています
ここにきて結婚をまた選ぶことになった とします
満点を求めて足掻くのはとりあえず違うよなとおもうんですよね
不安要素を潰しても潰しても不満はキリなくみつかるものだろうし
分かっているのにハナから不安要素を取り除こうとしてしまうのなんなんすかね
本能ですか
問題は相手のパラメータではなく「ま いっか」と受けいれられるかどうかの関係性のはずなのに
さも相手にのみ欠点があるかのように振舞ってしまう
いや まぁ 実際 欠点あるんでしょうよ
阿部寛じゃあるまいし
完璧ってことはないとして
要点は「解決していきたいと思うかどうか/それならどう解決するか」であって
欠点を怒ったり責めたりするやり方ってわりと解決から遠い
わたし自身はキャパが小さいので欠点を目の当たりにして指摘したくなるのはもう仕方ない
それを一度ぐっと飲みこんで反芻して言葉を選べるようにならないといけない
正直 そんな基礎的なこともできないのか びっくりするけども
友達すくないわけだよね
これがわたしの欠点なんだろう…
つまりわたし自身も満点で受けいれてもらっているわけではない
それがなにを偉そうに欠点とか不満とかバカじゃねえのか
相手の欠点が見えてからが愛ですね…
ありゃ それって外面は「恋は盲目」と区別つかなくない?
最近 考えれば考えるほど 昔ながらの当たりまえの格言に落ち着いてしまうので
ほんとにこんな身近な帰着点でいいのか…と戸惑う日々です
tags:
所感