twitterはじめて今年で4年経つようです
4年間でツイートしていない日はわずか3日
twitterで大量のわたしの小さな時間が消費されたわけですが
かわりにわたしの悩みはいかに凡庸でいかに特異でないかということが分かりました
悩みは個人的なものだから 当然 オリジナリティに彩られていると…
ぜんっぜん そんなことない
わたしの悩み イズ みんなの悩み
わたし自身はじぶんの機嫌のぶれの激しさのあまり よもや人格が分裂しているのではないかとおもっていましたが
そのようなことをツイートしているひとはゾウのクソほどいました
と言いますか
いろんな人格を抱えてそれらの折りあいに苦心して 誰だって日々を暮らしていますよね
みんな似たような悩みを抱えているんだなぁとおもうと 不思議と優しくなれます
穏やかな気持ちで過ごせます
(いいこといいました)
それ 前提にしたうえであえて言いますけど
悩みを相談して
「あ それ あるあるー 知合いもそういう人いたよー」
と請け合われて
「あぁ よかったぁ 似たような人いるんだね ほっとした」
って定型のやりとりだとおもうんですけど
わたしは全く「よかったぁ」ともおもってないし「ほっと」もしません
逆にほんとにほっとしているのか聞きたい
いや 一応ほっとしているひとも多少はいるとおもっています
相談している時点で 苦労は分かってはほしいがわたしの悩みはわたしだけの悩みだ って
頑なにおもっているんです
こういうひと たぶん わたしだけじゃない
ゾウのクソのような悩みを それでもやはりわたしだけのモノかもしれないと
大事にひしっと抱えてときどき他人に匂いだけかがせるような
こういうねじれきったひと たぶん わたしだけじゃない…