2013/11/08

「建築映画 マテリアル・サスペンス」を読みました

どうも "ココアのおいしい時節になりましたね" rintaroです。
社長の奥様が会社で飲むようにココアスティックを300本買ってくださったそうです。
社員ひとりあたり100本消費する計算になります。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」、おもしろかった!

建築映画 マテリアル・サスペンス



概要

映画の観方を変えると建築の捉え方も新しいものがうまれるのではというお話。

著者は映画を「物語」や「意味」から解放して観ている。
その観方を建築に投影すると、建築を「社会性」や「共同体」や「プログラム」といった「意味」を中心に据えた語り方から自由にすることになる。

建築をそんなふうに捉えたり語れたらたのしそう。

「有用性」という束縛から建築が離脱する捉え方、語り方を獲得することだ。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 51

(建築映画の領域では)「有用性」という問答無用の価値概念が建築に振るまってきた横暴さにむしろ気づきたいところだ。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 52


もちろんフィルムで建築を撮る、ということも愛をもって語られる。
この著者の愛あふれる語り口がわたしはもうだいすきで。
研ぎすまされて、まっすぐで、カッコイイのでぜひ読んでください。



建築映画のつくりかた

  • 建築の具体的な側面を即物的に伝えること(=リテラル)
  • 建物のなかに潜む建築の存在感(現象学的)を捉えること(=フェノメナル)

両者を満たすと建築映画であるといえるらしい。
リテラルに建築を撮るのはなんとなく想像がつく気がするのだけど、これも簡単なことではない。

三次元から二次元に変換するという特殊な感性と能力と方法が必要になる。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 59


建築写真という仕事がプロフェッショナル性をもっていることからも分かる。


フェノメナルに建築を捉えるというのは、建築の気配を捉えることと言い換えられる。
建築の気配というのは建築の意味とは異なる。

建築は国家権力やブルジョアとの関係が深いため、仕掛けや脚色などといった「偽のスペクタクル化」に溢れています。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 201

建築の気配はそれ以外のイメージに接触すると異様なほど過剰に汚染されやすい。意味が、物語が、権力者が、建築にいわば寄生しているのである。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 68


あくまで現象として立ち現れる、フェノメナルで非実体的なものなのだ。



マテリアル・サスペンスってなに

タイトルのもう半分「マテリアル・サスペンス」とはなにか。
これがすごく難しかった…
本を読んだ直後は分かったとおもったけど、いまはもう分からない。

(黒沢清の映画を評して)とはいえこのサスペンスはいっさいのストーリーの力を借りていない。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 277


建築映画の領域において、サスペンスがストーリーという映画の意味から逸脱していることは確かである。
それでは何をサスペンスと呼ぶのか。

映像の未だ名付けられていないある種の性質
物質感が横溢し、映像が毛羽立っているような感触のこと

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 161


つまりフィルム内に映ったモノが、モノとしての意味ではなく物質として撮られたときにこそ表れるといえる。

現実にはそれぞれの素材や日常の生活は厳しい限界のなかにある。
その限界を自覚したときに、いわば抵抗値として物質性が現れてくる。
それをあえて「真のスペクタクル化」と言ってもいいでしょう。

「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 201



理解へのヒントとして、ペドロコスタの映画があげられる。
ペドロコスタ自身が、映画内で人物も事物も建物も何もかも物質として等価に扱っている理由を2点あげている。

すべてのものが等しい価値を帯びて描かれている。造形的にも感情的にもそう言える。事物も人物も形をもつものにヒエラルキーはないのです。


「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 201

感情というものの「物質化」に近づきたい。限界や条件に意識的であることによって、マチエールをより深く省みることができる。


「建築映画 マテリアル・サスペンス」p. 201


_人人人人人人人人人_
> 何を言っているんだ <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄



無理

ここまでまとめようと努力したが、もとの著者の文章を編集することでだいなしにしてしまった。

意味に沿って要約したら行間に息づいていた気配がさっぱり消えてしまった
まさにフェノメナルが失われた。

かわりにinbookでセリフを引用することでまとめとした。
また読みなおしたい。



追記
2015.11.30 加筆修正しました。