- 住宅(住まい方)自体に部族のアイデンティティがあることに驚いた
- いまの日本での住宅では考えられないから
- じゃ アイデンティティ自体がないのかというとそういうわけではない
- 例えば生活をともにしたことない他人と同居した場合に細かい生活様式があわず不快感があることはアイデンティティの存在を示しているとおもう
- 表出しない/表出の仕方を知らないだけで住まい方にも家族のアイデンティティがあること
- 日本での住む単位(家族の単位)が当然だとおもっていた
- 住み方はもっと多様で自由でもいいんじゃないかなっておもった
3月27日にLIXIL銀座でみた展覧会とつい買った本の感想
下書に保存しっぱなしになっていました
記憶があやふやになりつつあるままぼんやりと公開
元建築学生とは言いたくないほど恥ずかしすぎる感想ではあります
たぶん大きくわけて
- 住宅/住まい方に部族のアイデンティティがあることへの驚き
- 住み方の多様さ
についての感想なのでしょう
紹介されていた住まい方ってのがいろいろすごかったので…
eg. ひとつの家に4つ囲炉裏があって両側から挟んで使用して8家族が住んでいる(間仕切りなし)
血のつながった家族とはべつに祭司のじいさんが一緒に住んでいる
ノマドだのシェアハウスだの言われている日本の現象はなんだかすごくちっぽけで
もっと自由に住んでもいいのかもしれないなっておもったんです
ただ住まい方に日本はアイデンティティが表出していないというのは
観察不足のずいぶん雑な言い方ではないかと…
あらためて読みかえすとそうおもいます