2012/11/11

青木野枝さんと青木淳さんのレクチャーへいってきました


どうも "昨日ホルモンから帰ってきたらドーナツぽい甘い匂いがすると母に言われた" rintaroです

わたしは何をたべていたのでしょう…

11月9日の「原っぱと鉄の浮遊する粒子」というタイトルの
青木野枝さんと青木淳さんのレクチャーへいってきたのでその感想文です



感想。のまえに

ツイートしてしまったのだけど

以上が わたしの感想です

で 建築系後輩やツイッターでみかけた建築系学生さんの感想をあわせてみると
野枝さんの話し方は分かりにくくて淳さんは分かりやすくてすげえ!!だったみたい

なんつーか…
もったいなくね??っておもって

おまえらこれからも分かりやすい話ばっか「いいね!」していくつもりかよと
そうじゃねぇだろと

レクチャーで分からないことやもやもやしたことが残ってもいいとおもうんですよ

むしろ分からないことを共有できる機会ってなかなかなくないか??
もやもやしてるから共有するのがむずかしいんだよ
そういうのは本とかネット越しになっていたらできない
わざわざ顔あわせてミーティングしたりするのはそういう部分も共有する必要があるからやってんだろ??

だからこそわたしは野枝さんの内容はナマで会ってこそだったと言おう





ふたりが似ているなとおもったこと

さてやっと講演会の内容について
まずふたりに共通しているとおもったところ

野枝さんの話は実際の彫刻やドローイングと照合しながら聞くと一貫していて
わかりにくいところはなかったともいえる
ここからは分からないとしている/じぶんの手から離す という線があることを話してくれていた

ここが淳さんと似ているっぽいとかんじたところで
淳さんも じぶんの手から離す という手法を用いている
淳さんの場合は「デザインしていないようなデザイン」を実現するためにだったけど…


野枝さんが青森県立美術館を「振りむいたときに大丈夫」な空間だったと表現したのはそこに起因するのではないか
淳さんが極力建築家の恣意性を排除した結果
人がつくったモノだという嫌味を感じさせなかったからではないだろうか



建築とアートのコラボによる実作と手法

実際にふたりによるコラボというか実作( Maison AoAo )が紹介されたのだけども
その実作自体よりこういう手法や何を良しとするか判断基準に関係性がうまれていることのほうがおもしろい



技術で自由を獲る

野枝さんが鉄の彫刻は誰でもできることで工芸品らしさがないところがすきだと話していて
子供を対象としたワークショップをするらしい

個人的な偏見でわるいけどわたしは「子供向けワークショップ」アレルギー
「子供の自由な発想うんぬん」などと言われているとおもうと
むっしょーにぞっとする
ので わりと渋い顔をして話を聞いていたとおもう

が 野枝さんがなにを考えてワークショップをされているかというと
技術で自由を獲ることができるから技術を教えたい(意訳)
だったので興味をひかれた


この自由を獲るというのは

(想像なのですが… たとえば…)
子供が家に帰ってみても親がいないひとりの時間
やっぱさみしくなってきちゃう
そこで 絵が描けたら
さみしい世界からすこし自由になれるんじゃないかって


そういう話だったのかなぁ…


ここのところをもうすこし聞いてみればよかったというのが後悔で
あいちトリエンナーレのプレイベントとして非常によい内容だったとおもいます
企画に携わってくださっている方に感謝