2012/02/17

茶室のべんきょうをはじめました


どうも "ひさしぶりに図書館にいったらカードなくしてました" rintaroです

わたしはわりと屋外で食事をするというのがすきなのですが
年末くらいに 一度 野点(のだて)というのをやってみたいなと ふと思いつきました

野点というのは要は茶室を飛び出した茶事です


わたしの親しい友人を呼んで
親しい友人がわたしの知らない親しい友人を呼んで
そういう空気のなかでほっこりとお茶をしたら楽しいのではないかなぼんやりと思いました

とにかく 茶室を離れた茶事に必要な空間をつくるというだけでわくわくしてしまって
まずは一体どんなことに留意すれば「お茶のための空間」というものがつくれるのか勉強をすることにしました



といっても本を数冊読んだだけです

何を読めばいいのかわからなかったので図書館で適当に検索して 片っ端から目を通しています

庭園の美と鑑賞法
茶室と茶庭 見方・作り方
日本の庭ことはじめ
ここから学ぶ茶室と露地
近代の茶室と数寄屋
すぐわかる茶室の見かた
"しくみ"で解く茶室

あと住宅建築の2月号にちょうど茶室の特集があったのでそれも読みました


中でも一番影響をうけているのは「"しくみ"で解く茶室」です
本一冊一冊に関する細かいメモや気づきは別で管理しているので
「茶室ってそういうふうにできているんだなー」といった全体で感じたことを書きたいとおもいます

そのために一番素朴な疑問に戻るわけですが…



何のために茶室をつくるのか??

もちろん茶事のため

では茶事はなんのためにやるのか??
亭主が客をもてなすこと それが一番の狙い


本を何冊か読むうちに
ほんとにシンプルに考えればどんな茶室も客をもてなすことを念頭においてつくられていると感じました
ただ どう「もてなす」のか
もてなしの解釈やその空間での「ご馳走」が異なるのであれだけ様々な茶室があるのだとおもいます

ご馳走というのは例えば床間の奉書であったり茶具であったり景色であったりそのまま懐石であったり 茶室内でのいろんな形での美やもてなしのことです



素材に隠された構成

で いかにもてなしの心をこめて空間をつくればよいのか
そこですよね

茶室といえば 侘た素材ばかりイメージしてしまい
土の壁や竹の組まれた窓に漠然とした「茶っぽさ」を感じさせられるので
わたしは素材やその仕上げにばかり気を取られていました


で 本を何冊か読んでやっと気がついたのですが
素材じゃなくて構成こそが問題なのだ

茶庭 露地 茶室
茶室へ至るまではもちろん
躙口から茶室内をのぞいたときの明暗差
そこで感じる距離感
床間から炉へ茶道口へと視線を誘導する配置
それを演出する窓の位置や窓の狙い
そして座についてからの客の視界に入るものの演出
その客自身を演出する構成

具体例があったほうがわかりやすいのですが それはぜひ「"しくみ"で解く茶室」を読まれてください74-85ページ辺です
解説を読むうちにあまりに無駄のない構成に溜息がでる勢いです
所作を丹念に考えて空間がつくられているんですね


すべての構成に亭主の意図がこめられているんです
むしろ素材はその構成を謙虚にも隠すために使われていたのではないかとおもうほどです

(実際隠してるんじゃないでしょうか…)
(茶事を介して客側も美意識や見識を試されているところがありますから)



あー!! なぜ建築を計画したときや庭の設計をしているときと同様に考えなかったんだろう…
構成が大事なんて当然のことだったのに…!!



謙虚といえば

侘について目鱗な指摘があったので
侘って粗野な素材や仕上げのことじゃなくて 客への亭主の謙譲心こそが侘らしいです


例えば
又隠という茶室は壁の仕上げに2種類の紙が使われています
それぞれの質の違いから「ハレ」(上質なほう)と「ケ」(普段使い)に分けられるそうです

客は常に「ハレ」の壁が視野に入るようになっています
退席時に振り返り初めて客は亭主がずっと「ケ」の壁と対面していたことに気づきます
この対比に亭主と客の格差が表現されていること そこに亭主の謙譲心を知ることになります
客ごと粗野の世界におくのは侘ではないそうです



問題は

今回の野点において何を「もてなし」とするのか
そこでのふさわしい「もてなし」とはなにか
場所の選定と同時に進めなければならないということです

すんごいたのしいね
最初からうまくいくとはおもっていないけど もう正直わたしの中で茶室のイメージがだいぶかわってこれだけでもやってみてよかったなーとはやくも感じているのです
あとはこれをちょっとでも共有してもらえておもしろがってくれる人とたのしく野点本番を迎えたいものだなとおもいます